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お線香マメ知識

お線香はいつどのように受け継がれてきた?

お線香はいつどのように受け継がれてきた?

こんにちは、お線香マイスターのかおるんです。

皆さんは日常的にお線香お香を焚きますか?
お線香は、我々の生まれる前からずっと継承されてきたものです。
その用途は、ご先祖様をお祀りすることであったり、リラックスタイムに香りを楽しむことであったりします。

では、そのお線香はどこからきて、どんな風に伝わって現代に至るのか、今回は
お線香お香の歴史を解説したいと思います。

飛鳥時代

お線香はいつどのように受け継がれてきた?




聖徳太子の時代、538(539年の説も)年頃。
仏教の伝来と共に、多数の仏頂礼儀と同じタイミングで伝わりました。

淡路島へ漂着した流木を、たまたま焚き火の薪として火へ放り投げたところ、何やらいい香りがする…
そこで、この芳しい香りを朝廷へ献上したと言われています。この流木は沈香だったという説もあります。

このことは、「日本書紀」にも記されており、日本最古の香りに関する記述とされています。

それ以前はというと、杉・檜・榊などの木のそのままの自然な香りを宗教的な用途で使用していたそうです。

奈良時代

お線香はいつどのように受け継がれてきた?
当時の使い方は、仏様の前で身を清め、邪気を払う為のものでした。

また、形状も今のような棒状ではなく、香木を少しずつ削り取り、砕くなどして
直接火にくべて焚かれていました。
現代でいう焼香(しょうこう)のような使い方ですね。
お葬式に参列したことのある人なら分かりますよね。

その後、唐との交流の中で、鑑真が来日します。その際医薬品や香料も持参され、この時に初めて練香(ネリコウ)※の製造方法も伝わられたそうです。
つまり、それまでの焼香のような使い方から、間接的に熱を加えて使用する方法です。
(※練香とは:香木を粉末状にした抹香(まっこう)と言われるものに、
蜂蜜、炭の粉末などを混ぜ込み練り合わせたもの)

平安時代

お線香はいつどのように受け継がれてきた?
この頃から、宗教的なものだけでなく今で言うところの「ヒーリング」や「癒し」
を目的として使用されるようになりました。
ただしそれは限られた高貴な部族だけだったのです。

貴族たちは、複数の香料を練り合わせて香りを楽しむ「薫物(たきもの)」※
を盛んに行うようになりました。
(※薫物とは、当時部屋の異臭を防ぐ目的もあったそうです)

そして彼らは自分で練って作った薫物をお互いに披露し合い、その香りの出来栄えを競い合う「薫物合わせ」というゲームに明け暮れていたそうです。

ちなみにこうした香文化にまつわる記述は、「源氏物語」の「梅枝巻」や、
「枕草子」などの王朝文学から確認されています。

鎌倉・室町時代

お線香はいつどのように受け継がれてきた?
平安時代末期になってくると、武士が台頭してきました。すると、香り文化は
それまでの薫物と打って変わって”香木”、中でも「沈香」が主役になってゆきました。

なぜなら、優雅な芳香を放つ薫物よりも、武士たちは爽やかで清々しい香りの沈香を好んだからです。
理由は、彼らは武士だから。戦いの前の緊張や不安な気持ちを落ち着かせてくれる効果があるとされる為、沈香を好んだといえそうです。

そして有力者は良質な香木を収集するようになり、このあたりから
「聞香(もんこう)」※が流行してゆきました。
(※聞香とは、香りを嗅いで(聞いて)その種類を当てること)

「聞」は中国では嗅ぐ、という意味ですが、日本ではその香りに耳を傾ける、そんな意味合いがあったようです。

ちょうど東山文化時代のタイミングだったこともあり、「茶道」や「華道」と同じように、「香道」として確立してゆきました。

江戸時代

お線香はいつどのように受け継がれてきた?
戦国時代に混乱を極めた政局でしたが、豊臣政権から徳川政権へ移り、やがて落ち着きを取り戻し、安定した世の中へと変わってゆきました。
経済が安定したことで、町人たちにも広く香文化が浸透してゆき、その中で
「組香(クミコウ)」※が発達しました。
(※組香とは、二種類以上の沈香を組み合わせ、微妙な差異を使って文学的な物語を創作する遊びのこと)

また、江戸時代初期寛文年間には中国から、現代のお線香の形状のい製造方法が伝わりました。

現代

お線香はいつどのように受け継がれてきた?
明治時代に入ると、流通の速度は更に早くなり、今日本の香り文化は改めて見直され、世界各国からも注目を集める代表的な文化の一つとなっています。

「香り」と一口にいっても、現代では、「祈り」だけでなく、「ヒーリング」「癒し」や、「自己表現」「インテリア(おしゃれ)の一つ」という意味合いも強く、老若男女問わず幅広く人々の心を癒してくれています。

まとめ

お線香はいつどのように受け継がれてきた?
いかがでしたか?

普段使っているお線香お香が、このような長い歴史を辿ってきたと思うと、日常何気無く使うときにも、少し意識が変わってきますよね。

特に最初に香木の存在を認めたシーン。聖徳太子が「これこそ沈水香(じんすいこう) というものなり」
と言ったそうです。その時の光景が目に浮かびますね!

また、戦国時代の武将たちが沈香を集めていた、という記述も個人的には大変興味深いです。
いくら武士とはいえ、人間ですから、きっと怖かったことでしょう。
そんな気持ちをコントロールする目的で焚いていたと思うと、当時の彼らの過酷な状況が容易に想像がつきますね。

このようにして伝わってきたものですから、これからも私たち現代人が、次の世代へと受け継いでいきたいと思うのです。

かおるんの一言ポイント

【4000年の時を経てやっと出会った東西の香り文化】

お香歴史、当稿ではあくまで日本に入ってきたところから解説している為、
飛鳥時代から記述していますが、本当の大元はインドでした。

インドから東と西へ別れたのです。
西は、香油や香水など、”液状”のものが主に発展しました。香水が東洋の人に根強く利用されているのは、こういった背景があるのです。

かたや東方面では、まず中国を経由して、日本へやってきたのでした。

そしてこの西と東の香文化。4000年後の明治時代にとうとう出会い、融合することになるのです。それまで日本には人口などの香木が主体でしたが、西洋の文化の影響により初めて「香水香」という、今でいうアロマやフローラル調の香りが完成したのでした。

最後までお読み頂き、ありがとうざいました。